最終更新日: 2006年06月07日
当会は来年11月をもって発足20周年を迎えます。皆さんは覚えていますか?以前会長が、当会発足の起因について『三笠記念艦』内に飾られていた『龍馬』の写真にあったと話していたのを。なぜ、旧海軍の軍艦内に写真が展示されているのか、この疑問が「東京龍馬会」誕生のきっかけになったのです。2005年5月29日(日)
JR『横須賀駅』(集合地)⇒『臨海公園』(ヴェルニー記念艦、ヴェルニー胸像、小栗上野介忠順胸像、旧逸見門衛所跡、海軍碑、軍艦碑)⇒『三笠公園』(東郷平八郎立像、記念艦『三笠』)【お昼】⇒京急「横須賀中央駅」⇒京急「大津駅」⇒『信楽寺』境内(坂本龍子墓)⇒京急「大津駅」(解散地)
今から150年前の安政2年(1858年)10月24日、長崎に海軍伝習所が開所しました。さらに10年後の慶応元年(1865年)閏5月、『坂本龍馬』により「社中」が設立されます。今年は「亀山社中」誕生140周年でもあります。
さて、同年9月、幕臣『小栗上野介』の献策で「横須賀製鉄所」が起工されて後に「横須賀海軍工廠」へと拡張整備されました。
100年前の明治38年(1905年)5月27日、「日本海海戦」において日本の「連合艦隊」がロシアの「バルチック艦隊」を破り圧倒的な勝利をおさめました。しかし、後の大東亜戦争では膨大な物資や船舶を失い、60年前の昭和20年(1945年)8月15日に終戦を迎え、日本海軍はGHQ(連合国軍総司令部)の命令により解体されました。
フランス軍技術将校『フランソワ・レオンス・ヴェルニー』は、1837年12月2日生まれ、フランス公使『レオン・ロッシュ』の紹介により「清国」から招かれた時は28歳でした。来日後「横須賀製鉄所」建設委員になり建設予定地の測量や造船機械に購入、フランス人職工団の人選、造船学校創立等に活躍します。
慶応元年(1865年)の9月27日、4年計画で「横須賀製鉄所」は起工されました。敷地の9万坪内に3箇所の造船所と2箇所のドッグの建設がされ、明治4年(1871年)にほぼ完成します。その間『ヴェルニー』は所長に就任し、明治9年(1876年)3月13日に帰国します。
『小栗上野介忠順』(胸像)
『小栗又一忠順』は文政10年(1827年)2月12日、神田駿河台で生まれました。欧米の海軍工廠を見聞し、かつロシア軍艦の無法に対処できなかった事で日本が自力で海軍を創ることが急務と考え「洋式造船所」建設を幕府に建議、江戸湾を視察して測量を重ねた結果「横須賀」を選びました。
総理大臣『伊藤博文』(長州)/海軍大臣『西郷従道』(薩摩)/外務大臣『睦奥宗光』(紀州、海援隊)/朝鮮駐在公使『大鳥圭介』(旧幕臣)/軍令部長『樺山資紀』(薩摩)/連合艦隊司令長官『伊東祐亨(すけゆき)』(薩摩、神戸海軍操練所)
今から101年前 - 日露戦争総理大臣『桂太郎』(長州)/海軍大臣『山本権兵衛』(薩摩)/陸軍大臣『寺内正毅』(長州)/外務大臣『小村寿太郎』(飫肥)/軍令部長『伊東祐亨』(薩摩)/参謀総長『山県有朋』(長州)/連合艦隊司令長官『東郷平八郎』(薩摩)/満州軍総司令官『大山巌』(薩摩)
東郷平八郎(銅像)
弘化4年(1847年)〜昭和9年(1934年)、鹿児島の下鍛冶屋町に生まれる。戊辰戦争では軍艦「春日」の士官として「宮古湾海戦」「函館海戦」を経験する。
青蓮院宮侍医で勤王家『楢崎将作』の長女。天保12年(1841年)生まれ。龍馬の死後、高知の坂本家を頼るが、姉『乙女』とあわず約1年半で坂本家から去る。
第38回:行蔵は我に有り
本所松阪町跡の碑、旧吉良上野介屋敷跡碑、勝海舟生誕記念碑、勝海舟・西郷隆盛会見の地碑、薩摩藩上屋敷の碑、水野監物邸の碑、勝海舟夫妻の墓・西郷南州顕彰碑 '05.10.02
第36回:秋風紀尾井坂
(青山霊園内(平井加尾の墓・川路利良の墓・牧野伸顕・吉田茂・頭山満・浜口雄幸の墓・大久保利通の墓・紀州藩中屋敷跡碑)・清水谷公園・紀尾井坂・喰い違い見附・尾張藩中屋敷跡碑・四谷見附・新宿歴史博物館・消防博物館) '04.10.17
第34回:小説「燃えよ剣」の舞台へ
(大国魂神社・高幡不動(歳三銅像)・パルテノン多摩・歳三生家・石田寺) '03.10.05
第31回:江戸山手と河岸の風景
(有栖川宮記念公園・最初の米国大使館の碑、一の橋、浜離宮庭園、水上バスで浅草、藤田東湖正気歌碑、すみだ郷土文化資料館) '02.05.26
第29回:幕末明治の染井路(みち)
(徳川慶喜敷跡碑・日本刀装具美術館・染井霊園・勝林寺・本妙寺・妙行寺) '01.05.27
第27回:駒込御成街道を歩く
(高林寺・養源寺・吉祥寺・六義園・古川庭園・西ヶ原一里塚・飛鳥山公園) '00.05.28
第25回:スプリングウォーク・品川宿



信楽寺
レポート:菊池牧人