最終更新日: 2005年08月16日

この夏、京都国立博物館では、大規模な特別展覧会を開催します。展示概要は「かわらばん」に掲載していますが、この展覧会をもっとたのしみたい方のために、東京龍馬会が徹底紹介します!
「かの小野小町が名哥よみても」からはじまる6月28日付、乙女宛の手紙(【作品番号51】)は、従来、文久3年とされてきましたが、「龍馬の翔けた時代」展の展示を担当されている京都国立博物館主任研究官の宮川禎一氏により、その翌年の元治元年と推測されている手紙です。この手紙が展示されている左横には、「浪士文久報国記事」【作品番号50】の池田屋騒動について記載されている箇所が展示されており、隣に展示されている龍馬の手紙に緊迫感を与えています。展示を担当された宮川氏の細やかな演出をお楽しみください。
本論については、宮川禎一『龍馬を読む愉しさ--再発見の手紙が語ること--』に詳しく書かれていますので、本書をお読みください。この本は、京都国立博物館の売店で販売されていますが、東京龍馬会では割引販売しています。(定価2,100円→割引価格1,800円)
坂本家のご子孫である土居晴夫先生(東京龍馬会顧問)は、東京龍馬会の講演会(平成14年11月)にて、龍馬の家は和歌の家であると語っておられましたが、龍馬の祖母が、井上好春という歌人の娘であったことから、坂本家には和歌をたしなむ素養がありました。この展覧会にも龍馬が詠んだ和歌がたくさん展示されています。
慶応3年3月6日付印藤聿宛の手紙(【作品番号63-4】)には、伊藤助太夫の屋敷での歌会で、龍馬の歌が第二席となったことが書かれていますが、その和歌「こゝろからのどけくもあるか野辺ハ猶雪げながらの春風ぞ吹 直柔」の短冊(【作品番号97】)も展示されています。印藤宛の手紙にはもう一首、龍馬自身の和歌が記載されています。重文指定の「坂本龍馬桂小五郎遺墨」(【作品番号62】)には、龍馬詠草一、龍馬詠草二、龍馬詠草三として多くの龍馬の和歌を見ることができます。また、三吉家所蔵の「詩歌短冊合装 中岡慎太郎・坂本龍馬・田中顕助筆」三点一幅(【展示作品105】)には、「常磐山松の葉もりの春の月 あきハあわれと何をもいけん 直柔」の歌の短冊が、中岡慎太郎、田中光顕の短冊と共に合装されています。中心上方に龍馬の短冊、右少し下に慎太郎の短冊、左下に田中光顕の短冊がバランスよく貼られています。
それから、慶応元年9月9日付、坂本乙女・おやべ宛の手紙(【作品番号62-11】)には、坂本家にある龍馬所用の短尺箱(短冊箱)に入っている父・母・祖母の詠歌の短冊の裏に、それぞれの死亡した時と日を記載して、権平や乙女の詠歌の短冊と共に送ってくれと依頼していますが、位牌のかわりに家族の詠歌の短冊を手元に置いておきたいと思う龍馬の心情に触れてみてください。坂本家が和歌の家であることが実感できます。和歌というキーワードで展示を見てゆくのも楽しいです。 *写真は【展示作品105】より龍馬の短冊。所有者である三吉家よりホームページへの掲載のご承諾をいただいております。
※東京龍馬会の会員は、第63号付録「かわらばん」に掲載した「幻の龍馬の手紙、高知県に寄贈」を参照してください。
※本サイトでは、土佐山内家宝物資料館で販売しているこの手紙のミニチュアを「かわらばん」のトピックスで紹介しています。
この部屋では、是非とも立ち止まって龍馬の心に触れてください。より龍馬が好きになることと思います。
慶応3年6月、長崎から兵庫へ航海する夕顔丸の船上で龍馬が後藤象二郎に示したといわれる新政府構想「船中八策」の「船」は夕顔丸のことです。絵馬が奉納された仁井田神社がある仁井田は、浦戸湾の湾口にあり、近くの種崎には龍馬の義母伊与が嫁いでいた川島家がありました。
山田一郎『坂本龍馬〜隠された肖像』には、龍馬と乙女は潮江から舟を漕いで、川島家に何度も遊びにきて仁井田神社の神事にも来たという古老の話が紹介されています。龍馬最後の帰郷の折、立ち寄った中城家も種崎にあり、その日は仁井田神社の神祭の日であったそうです。「高知下町浦戸湾風俗絵巻」(【作品番号19】の後期展示は、浦戸湾の湾口の部分が展示されています。仁井田浜や、仁井田神社の鳥居、種崎、吸江寺などを絵巻から探してみてください。